祈りの部屋

集まることが難しくても、共に祈ることを忘れないでいたいと思います。

み言葉に導かれつつ、互いのため、諸教会のため、この世の様々な人々のために共に祈りましょう。

現在祈祷会は、下記の通り、オンラインと対面を併用して行っています。

 

第1,3,5水曜 オンライン 午後8時25分から

第2,4水曜   教会で   午後2時から



 

エレミヤ書2117

 

 ここからしばらく王や預言者にかかわることが記されていきます。その初めに記されるのはゼデキヤ王時代の出来事です。このあとヨヤキム王も出て来ますが、この2人はユダ王国の最後に登場する王たちです。ただ、年代の順番で言えばヨヤキムの方が先で、ゼデキヤがユダの最後の王になります。ゼデキヤ王は、今も言ったとおり、ユダの国の最後の王になった人で、西暦で言うと紀元前597586年の間王でした。ヨヤキムはその前の約10年王でした。彼らに共通しているのは、どちらもヨシヤ王の息子であるという点です。ここからしばらくこの2人の時代のことが語られていきますので、少しこの時代を振り返っておきます。これまでも少しずつ触れてきましたからすでにお分かりのことも多いと思いますが、簡単に整理しておきたいと思います。

 

 彼らの父であるヨシヤ王は列王記の中でも特に賞賛されている王です。それは彼がエルサレムから偶像礼拝に関わるものを一掃したからです。彼がその改革を行った一番の理由は新しい律法の書を発見したことでした。神殿で見つかったその書を読んだとき彼は深く悔い改め、その書に記されていることに従って改革を行いました。それが一番の理由なのですけれど、それができたことには当時の政治的な勢力バランスの変化も関係していたと考えられます。当時、それまで圧倒的だったアッシリアが衰退し、次の大国としてバビロンが台頭してくるまでの間の狭間の時期に当たります。そのためにパレスチナに対する大国の影響力が薄らいでいました。それでヨシヤも自由に行動することが出来たと思われます。しかし、しだいにバビロンが力をつけ始めたとき、エジプトはそれを押さえつけるために戦いを挑みます。それでアッシリアに味方してバビロンと戦いました。ヨシヤはアッシリアの力が盛り返すのを恐れてでしょうが、そのエジプトを止めようとして戦います。そんなことはしなければよかったのにと思いますが、ヨシヤはその戦いで命を落とします。結局エジプトもバビロンに敗れてしまい、バビロンが次の大国として勢力を伸ばしていくことになりました。ユダでは、ヨシヤ王が死んだあと彼の子の一人が王位を継ぎますが、ヨシヤに勝ったエジプトの王はそれをよしとせずに退位させ、別の子を王としました。それがヨヤキムです。そういういきさつですから、ヨヤキムはエジプトの意向に従った政治を行います。列王記下23章の最後の方を見ると、彼はファラオの要求に従って銀と金を差し出すために国民に税を課したと言われています。ただ、彼が王である間にバビロンがパレスチナに進出してきます。本来であればエジプトがそれを押しとどめる役割を果たすはずですが、エジプトにはその力がありませんでした。そのためエルサレムはバビロンの攻撃を受け、その支配を受けることになり、ヨヤキムは、今度はバビロンに貢ぎを収めなければならなくなります。それが3年続いたのですが、ヨヤキムはバビロンに反旗を翻します。バビロンはそれに対して軍勢を送り、エルサレムを包囲しました。その包囲が続く中でヨヤキムは生涯を終えます。そのあとを継いだのはヨヤキンという人で、彼はヨヤキムの息子でした。しかし彼が王だったのは3ヶ月だけで、3ヶ月後ヨヤキンは降伏し、第1回目のバビロン捕囚が行われてヨヤキンも捕囚民の中の一人としてバビロンに移されています。そのあと王となったのがゼデキヤです。彼はヨヤキム同様、はじめはバビロンに従いますが、やがて反旗を翻します。バビロンは再び軍勢を送ってエルサレムを包囲しました。それがゼデキヤの治世第9年のことです。その包囲は2年ほど続き、町の中はやがて食料も底をついて悲惨を極めます。結局城壁が破られてバビロン軍が町を征服しました。ユダがバビロンに背くのはこれで2度目になります。それもあってと思いますが、バビロンは今度は情け容赦なく、徹底的に町を破壊しました。神殿にあった青銅で作ったものや金や銀で作ったものなどはバビロンに運び、多くの民を捕囚として連れて行きます。こうしてユダは滅びました。これがヨシヤ王の死んだ年から20数年の間に起こったことです。このあたりのことは列王記下23章の終わりの方から24章にかけて記されていますので、また目を通してみてください。

 

 今日読んだ箇所の言葉はゼデキヤ王の時代で、バビロンがエルサレムを包囲しているさなかのことでした。包囲が続く中でゼデキヤ王はマルキヤの子パシュフルと祭司ゼファニヤをエレミヤのところに遣わしました。それは自分や町のために神に祈ってもらうためでした。ゼデキヤは派遣した2人にこう言わせています。「主はこれまでのように驚くべきみ業を、わたしたちのためにもしてくださるかもしれません。」ゼデキヤが何を考えてこう言わせたかは明らかです。彼が考えていたのは、約100年ほど前の出来事です。その頃、ユダはアッシリア軍の攻撃を受けていました。当時の王はヒゼキヤで、彼のことは列王記下1820章に記されています。ヒゼキヤは父アハズのあとを継いで王となりました。アハズのことは19章を読んだときにお話ししました。彼は、北イスラエル王国が他の国々と同盟を結んで攻めてきたときアッシリアに助けを求めました。その結果アッシリアは北イスラエルを滅ぼします。ユダはそれで助かったわけですが、アハズはそれ以来、アッシリアで行われていた神礼拝を取り入れ、積極的に偶像を拝むようになります。その後を継いだヒゼキヤは偶像を取りのぞき、アッシリアに刃向かいます。するとアッシリアは軍勢を送ってエルサレムを包囲したのでした。そう聞くと、さっきまでお話ししていたことと全く同じことが繰り返されていることに気付かれると思います。だからこそゼデキヤはエレミヤにこのような願いを述べているのです。というのは、かつてアッシリアにエルサレムが包囲されたとき、預言者イザヤはヒゼキヤに何も恐れる必要はないと語り、アッシリアは必ず包囲を解いて引き返すと語りました。その言葉どおり、アッシリア軍は一晩のうちに185千人が死んでしまい、包囲を解いて退却していきます。その出来事を念頭に置きながら、神に執り成してほしいとゼデキヤは願うのでした。

 

 彼がエレミヤにそう伝えさせたのは、エレミヤに対する評価が変わったからということもあったのかもしれません。ヨヤキム時代、またゼデキヤ時代、エレミヤはたびたび攻撃され、迫害を受けています。それは彼が北から災いが臨むと語ったからでした。やがて彼はバビロンという名をはっきり示しながら、バビロンを送られたのは神なのだから、今はバビロンに逆らうのをやめて降伏すべきだと語るようになりました。それを預言者にあるまじき行為ととらえる多くの人々がいて、彼を攻撃しました。しかし、実際にエレミヤが語ったとおりにバビロンがやって来てユダを攻撃します。そうなってもまだエレミヤの言葉を聞こうとする人は多くなかったのですけれど、それでもエレミヤの言葉が全くのデタラメでなかったことは認めざるを得なかったでしょう。だからこそゼデキヤはエレミヤに預言者として自分たちを助けてほしいと頼んだのだと思います。

 

 しかし、エレミヤが彼に告げたことは徹底的な破滅でした。エレミヤはユダのために執り成すのではなく、これまで語ってきたとおりのことをいっそう徹底して語ります。今は城壁の外で行われている戦いがやがて城壁の内側で行われるようになり、この町の人々は敵の手により、また疫病によって命を失う。たとえそれを免れたとしても、バビロンの王は決して見逃さず、剣によって生き残ったものを殺し、それも生き延びた者たちはバビロンに連れて行く。そうやってこの町は徹底的に滅ぼされてしまうことになるとエレミヤは言います。彼がそう語るのは、これまで自分を迫害してきた人々に対する恨みや憎しみからではありません。神が激しく憤っておられるからです。5節に、わたしは手を伸ばし、力ある腕をもってお前たちに敵対し、怒り、憤り、激怒して戦う、といわれています。本来、伸ばした手と力ある腕はイスラエルのために働かせてくださるもののはずでした。申命記を見ると、主なる神が力あるみ手とみ腕を伸ばしてイスラエルをエジプトから導き出してくださったという表現が何度か出て来ます。それからも分かるように、神の手と腕はイスラエルの救いのためのもののはずなのです。ところがそれがユダを滅ぼすために働くとエレミヤは言います。神の心が全く反対に向いてしまっているかのように思えます。しかしあるべき姿を失って変わってしまったのはイスラエルの民の方であって、神はかつても今も何も変わってはおられません。ユダはそのことに気付かなければならないのです。エレミヤの語るこの激しい怒りの言葉はそのことを人々に突きつけているのでした。

 

 本当に厳しい状況の中で、とても厳しいことが告げられるのを聞くのはつらいことだったでしょう。けれどこの言葉の中に助けがあったことを忘れてはいけないのだと思います。それについては次のときに改めてお話ししますが、神はただ怒りにまかせて感情的に語っておられるわけではありません。神の厳しい言葉は罪に気づかせるためであり、悔い改めを願うからこそ語られます。わたしたちはこのような厳しい言葉の中に、どこまでも深い罪の現実を見ると共に、その深い罪の中に沈み込んでしまっているわたしたちをどこまでも追い求めてやまない神の熱心を覚えたいと思います。

 

 

 

《今週の祈祷主題》 「神学校卒業式を覚えて」

 

今年の卒業生は1名です。4年の学びを終えて教会に派遣されようとしている卒業生のためにお祈りください。また2名の在校生がふさわしい学びと訓練の時を過ごすことができるように、そして新しい献身者が起こされるようにお祈りください。