祈りの部屋
集まることが難しくても、共に祈ることを忘れないでいたいと思います。
み言葉に導かれつつ、互いのため、諸教会のため、この世の様々な人々のために共に祈りましょう。
現在祈祷会は、下記の通り、オンラインと対面を併用して行っています。
第1,3,5水曜 オンライン 午後8時25分から
第2,4水曜 教会で 午後2時から(Zoom併用)
エレミヤ書40:1〜6
今日は40章の始めの部分を読みました。ここにはエレミヤが釈放されたことが記されています。エレミヤはゼデキヤ王のもとで監視の庭で監禁されていました。先週読んだ39章では、エルサレムが陥落したとき、バビロンの王ネブカドレツァルの命令によって解放され、シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤに預けられたと言われていました。それと重なることがもう一度40章に記されているわけですが、39章で言われたことをもう少し詳しく語り直していると考えられます。エレミヤは王の命令によっていったん監視の庭から連れ出されましたが、その後、混乱の中でとらえられ、バビロンに連れて行かれる人の中に入れられてしまったのかもしれません。そしてそのままラマまで連れて行かれたのですが、王の命令を受けてエレミヤを監視の庭から連れ出した親衛隊長ネブザルアダンがエレミヤをもう一度さがし、ラマで見つけて解放したのでしょう。ラマというのは聖書の後ろにある地図の「5.南北王国時代」を見ていただくと、エルサレムから少しだけ北に行ったところにあるのがお分かりになると思います。ちなみに、あとに出て来るミツパというのは隣の「4.統一王国時代」の地図を見ていただくと、これもエルサレムから少し北に行ったところにあるのが分かると思います。ラマとミツパはすぐ近くで、隣町と言っていいくらいの距離にあり、ラマの方がよりエルサレムに近い方にあります。両方の町の位置関係はもう少し北にあるベテルを基準に見ていただくとわかりやすいかもしれません。ラマでエルサレムから約13キロくらいだと思います。それくらいのところまでエレミヤは捕囚民の1人として連れて行かれていたということです。そのエレミヤをネブザルアダンが捜し出し、改めて王の命令どおり釈放することになったのでした。
そのときのネブザルアダンの語った言葉が2節以下に記されます。彼は、エルサレムが被った災いの原因は人々が神の声を聞いていながらそれに従わなかったことだと語ります。まるでイスラエルの人であるかのような言葉ですが、彼がイスラエルの神を信じていたわけではありません。ただ、先週読んだところにあったネブカドレツァルの言葉もそうだったように、彼も先に投降していたユダの人々からエレミヤの活動について聞いて知っていたのだろうと思います。そしてエレミヤがどんな状況でどんなことをしてきたかを知って、エレミヤに対する好意を覚えていたということはあり得るのではないでしょうか。エレミヤの仕える神を信じるようになったわけではないと思いますが、エレミヤの言葉の正しさが歴史的に証明されたことを実際に見て、その働きに対して敬意を払う気持ちになったのだろうと思います。実際、エレミヤは大変な苦労を死ながらも最後まで語ることを変えず、神に命じられた通り忠実に働き続けました。そしてその通りのことが実際に起こったわけですから、ネブカドレツァルやネブザルアダンがエレミヤに対してこのような態度を示すことも分かるように思います。
そんな思いが彼の言葉に表れています。ネブザルアダンはエレミヤに、自分と一緒にバビロンに行くことを提案します。そうすれば面倒を見ると彼は言います。面倒を見るというのはエレミヤに対する敬意にふさわしい待遇で迎えるということです。どんなことがしてもらえるのかは分かりませんが、バビロンに行けばこれまでとは全く違って平穏な暮らしができるのは間違いないでしょう。でもネブザルアダンはその提案を強制しません。どうしてもそうしてほしいという願い方もしません。それがよくないと思うならやめていい、その場合はゲダルヤのところに行ってもいいし、それ以外のどこにでも、自分がいいと思うところにいっていいと言うのです。エレミヤのことをとてもていねいに扱おうとしていることがよく分かります。ネブカドレツァルが彼にエレミヤの世話をするようにと命じ、エレミヤが求めることは何でもかなえるようにと言っていたことも影響しているのでしょう。それに加えてネブザルアダン自身のエレミヤに対する思いも重なってこのような言い方になっているのだと思います。
神に対し忠実であることが信仰を異にする人々にも理解されるということは確かにあり得ることです。理解されないことの方がずっと多いとわたしたちは感じていますから、このような記述があると驚きもするし、安心もします。もちろんこの場合は特別だということは確かです。エレミヤはバビロンに従わないと災いが下ると語ってきたわけですし、バビロンの人がそれを聞けば悪い気がしないのは当然だからです。しかし、たとえ信仰者が迫害を受けるような厳しい状況の中であったとしても、信仰者の姿が迫害者に対して感銘を与えることはあり得ることです。もちろん必ずそうなるということではありませんし、それはごくまれなケースだと言わざるを得ないかもしれません。しかし、神に対して忠実であることが理解され、敬意を持って覚えられることもありうることは知っていていいのではないでしょうか。
そしてネブザルアダンの申し出を受けたエレミヤはミツパにいるゲダルヤのもとに身を寄せることを選びました。ミツパは先ほど申し上げた場所にあります。エレミヤが解放されたラマより少しだけ北西によったあたりです。エルサレムはバビロンによって焼き払われてしまいましたから、その後の統治をゆだねられたゲダルヤはミツパを拠点にユダを治めることにしたのでしょう。多くの人はバビロンに連れて行かれますが、貧しい人たちが残され、ぶどう畑や農耕地が与えられていますから、その人たちを治めることがゲダルヤの仕事になります。そのゲダルヤのもとにエレミヤは身を寄せました。ゲダルヤはシャファンの孫でアヒカムの子と言われています。シャファンはヨシヤ王時代に働いた書記官として列王記下22章に名前が出て来る人です。彼は神殿で新しい律法の書を発見した大祭司からその書を受け取ってヨシヤ王に報告しました。おそらく、その後行われたヨシヤによる改革にも協力して働いたと思われます。その子であるアヒカムはエレミヤ書26章の最後に出て来ます。ヨヤキム王の時代にエレミヤと同じことを語っていた預言者ウリヤが殺害されたときエレミヤを保護した人です。そのアヒカムの子がゲダルヤです。そういったいきさつから考えて、ゲダルヤがエレミヤを保護することは間違いなかったでしょう。それ以上にエレミヤの預言者としての働きを求めてもいたのではないかと思います。そのようなことも考えた上でだろうと思いますが、エレミヤはゲダルヤのところに行くことを選びました。それは自分にとって都合がいいからということではなかったのではないかと思います。楽をしたいのならむしろバビロンに行けばずっといい待遇を受けることができたはずです。そうはしないでユダの地に残り、後に残された貧しい人たちの間で生きることを選んだのは、彼が最後まで主なる神に仕える預言者としてこの地に召しを覚えていたからではなかったでしょうか。エレミヤはこれまでバビロンに従うなら生き延びることができると語ってきました。ゲダルヤはその言葉どおりのことをしようとしています。そんなゲダルヤのもとにいて、自分が語ってきた通り、バビロンの支配を受け入れながら生きることが自分にはふさわしいと考えたのではないだろうかと思いました。このときエレミヤはそれなりに年をとっていたはずです。預言者として召されたのはヨシヤ王の治世第13年のことだったと1章の初めで言われていました。計算するとそれは紀元前626年頃になります。それから40年ほどたっていることになります。召されたときはまだ若者でしたから、60歳過ぎくらいでしょうか。それがどれくらいの年齢になるのかよく分からないのですが、少なくとも働き盛りと言われる年代は過ぎているでしょう。このあとそう長く人生があるわけでないことは自覚していたと思います。その最後のときをどうやって過ごすかを考えたはずです。そしてユダにとどまり、残った人々と共に生きることを選んだのでした。
最後まで預言者として神に仕えようとする思いが彼の中にはあったのだと思います。預言どおりバビロン捕囚が起こり、自由の身になることができたという時点で、その後はどう生きてもよかったのかもしれません。しかし、最後まで彼は与えられた召しに従って生きていきます。どんなことができるかは分かっていないはずです。でも、それは神がお示しになるでしょう。そのことを信頼しながら、最後まで彼は神に選ばれ、とらえられたものとして歩むのでした。ここはそんなエレミヤのあり方が映し出されているように感じる箇所でした。
《今週の祈祷主題》「求道の友を覚えて」
ともに礼拝をささげる求道の友、未陪餐会員がこれからも教会につながり、やがて主への信仰を告白してともに聖餐にあずかることへと導かれていくよう、それぞれのことを覚えて祈りましょう。
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